地理と文化
 ヨーロッパとアジアが交差するトルコはその文化が入り混じった魅力的な国です。最近は猛スピードで発展していますが、オリエンタルとアラビアのミステリーな雰囲気はまだ生きています。トルコの郷土料理、斬新な建築物、美しいビーチ、活気ある市場が人気です。古代都市イスタンブールはヨーロッパとアジアの国をつなぐボスポラス橋が有名です。ノアの箱舟を捜してアララト山をハイキング、地中海と黒海の太陽のもとで日光浴や石を刻んで作られた古代地下都市や教会を観光したり、トルコは様々なものが発見できるエキゾチックな国です。
 トルコの人々は旅行者を暖かく歓迎してくれるということで有名です。おいしいトルコ料理、夢のようなビーチ、多くのトルコの都市には素晴らしいモスクと城が点在します。物価が上昇するなかトルコは地中海で最も手ごろな観光地です。
 トルコでは、無数のアウトドア・アクティビティーが楽しめます。ノアの箱舟を捜して遠いアララト山の氷山登山、歴史的なユーフラテス川とチグリス川横断、聖パウロが歩んだ地に続いたり、パタラビーチの金色の地中海の砂の上でくつろぐこともできます。パワフルな街イスタンブールでは、ヨーロッパをアジアから切り離すボスポラス海峡の青い海にまたがる、無数の尖塔が印象的なスカイラインが、ハーレム陰謀と高慢なスルタンの歴史を物語っています。
 トルコでは、1000km以上の地中海の海岸線、閑静な入江、突端な岩と絵のような漁村に沿ってのクルーズや、エフェソスのグレコローマ都市の遺跡観光が出来ます。アドベンチャーではアナトリア台地の自然の美しさ、カッパドキアの超現実的な岩の縦に走る割れ目の景色、ヒッタイト人の遺跡が発見できます。コンヤではダルウィーシュの秘儀を見るユニークな体験ができます。
トルコの宿泊施設
トルコ語ではホテルのことをオテルと呼びます。宿泊施設の看板が「Otel 〜 」とか「Oteli 〜 」という表記も見られます。アメニティは高級ホテルでなければ、歯ブラシやコンディショナーはないことが多く、バスタブは3つ星のホテルではついていない場合のほうが多いでしょう。カッパドキアのギョメレには、洞窟部屋や岩をくり抜いて作った客室などがあり、人気も高いのですが、夏は涼しくて快適ですが、冬は暖房設備のない部屋はかなり厳しいので気をつける必要があります。トルコ・ホテル・ページもご参照下さい。
気候と天候
 夏は地中海気候とよく似て暑く乾燥しています。冬は通常穏やかですが、湿気があります。トルコの東部山岳地方の冬は非常に寒く、毎年大雪が降ります。南東部は、夏にしばしば気温が45度まで達する暑い地域です。この地域の冬も、非常に穏やかで乾燥しています。
旅行のピークシーズンは7月から9月中旬までです。同時期に殆どのトルコ人も休暇をとります。東部トルコを訪問する理想的な時期は、6月下旬から9月までです。5月以前又は10月以降は雪が降りますので旅行には適しません。トルコで最も人気のある祝日クルバンバイラム期間中の旅行は、避けた方がよいでしょう。
歴史
 トルコ人の名前が歴史に登場しはじめたのは紀元前2000年以上前までさかのぼった頃となります。アジアとヨーロッパ中で広範囲に行動し、トルコ人はこれらの大陸中に巨大な帝国を設立しました。
10世紀までに、大部分のトルコ人は、イスラム地域を支配していましたが、大幅な変化の後で、10、11世紀の中央アジアのカラハニド王朝と10、12世紀のカズニ帝国が、現在のイラン、アフガニスタンと北インドの地域に侵略してきました。
一部のトルコ人は南西にあるアナトリア(小アジア)へと移動しました。アナトリアを文明の発祥地と考える人もいます。というのも、ヒッタイト人、アッシリア人、リュディア人、ギリシア人、ペルシャ人、マケドニア人、バビロニア人、ローマ人、ビザンチウム住民、トルコ人を含む20以上の文化と文明がその地で受け入れられたからです。
西暦1071年には、トルコ人はビザンティン帝国と重要な戦いを行いました。アナトリアに定着して、トルコ人は多くの小さな封建的な州といくつかの帝国を設立しました。
セルジューク帝国は、アナトリアの最初のトルコの帝国でした。セルジュークの影響が衰えたあと、アナトリアはいくつかの小さな州に分解しました。オスマントルコ人は分解した州をを統一しました。これが結局、歴史上で最も大きな帝国オスマントルコ帝国となったのです。
オスマントルコの政治制度が多様な宗教、言語、文化を認めるなど柔軟な政策だったため1281年から1922年までの6世紀以上もの長い間支配することができました。帝国は、東ヨーロッパの大部分、西アジアと北アフリカまでに及びました。
18世紀は、オスマン帝国の勢力低下が始まりました。戦いを続けるたびに帝国を失いそのまま第一次世界大戦(1914〜1918)まで負け続けました。結局、アナトリアは分裂され、同盟軍によって占領されました。オスマン帝国は分解されましたが、この戦いは現在のトルコの人々のために始まったものでした。
 第一次世界大戦時から非常に尊敬された陸軍将官、M・ケマル・アタチュルクは、占領者に対して独立戦争(1919〜1922)を起こしました。今世紀、国家解放のために初めて成功した戦争でした。
多くの奇跡的な勝利の後、占領軍を追い出しました。1923年に、国家トルコの州(トルコ共和国)を建国しました。新国家のリーダーとして、アタチュルクは人権や基本的自由を基に現代の基盤をつくりました。
トルコは1999年の公式にEU候補国になりました。EU必要条件に従って一連の重要な人権と経済改革を始めました。死刑は廃止されました、拷問に対するより厳しい処置が導入されるなど刑法典は改正されました。女性の権利とクルド族の文化、言語教育や放送などの重要な改革も行われました。
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