リミニ旅行ガイド
リミニ 基本情報 

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アドリア海に面したイタリア北東海岸にあるリミニは、ガリバルディ港からカットーリカにいたる120キロメートル以上にわたる海辺のレクリエーションエリアの一部である、有名なリゾート地です。ここは海好きにとっての楽園であり、太陽と海を愛してやまない観光客や活気あるナイトライフを捜し求める観光客を長年にわたって惹きつけています。ここで開かれるパーティに終わりはありません

シーズンは6月終わりから9月にかけてで、この間、何万ものイタリア人の若者や増え続ける外国人がやってきて砂浜で日光浴をして過ごしたり、クラブやディスコで毎夜パーティを開くのです。イタリアで一番人気のあるナイトクラブはここにあり、シーズンの大半を通して一晩中満員になっています。

広い砂浜に加え、リミニには温泉、泥風呂、ウォータースポーツ、釣りなどアウトドアレクリエーションをするチャンスが豊富にあります。見逃したくない面白い観光地がたくさんあります。アレンゴとポデスタなどのリミニにある宮殿と廃墟となったシスモンド城も市街地にあります。また、旧魚市場フォンタナデラピーニャとチベリウス橋も興味深いところです。

リミニには、15世紀ルネッサンス様式で建築されたマラテスタの神殿、14世紀のリミニ芸術を陳列する市立博物館、ラピダリウム、ディンツ・リアルト博物館といった文化的な観光地があります。また、車で程よく行ける場所にボローニャ、フローレンス、ベニスがあり、芸術、文化、ショッピングにあふれています。小さなサンマリノ共和国は、リミニから西へ25キロのところにあり、日帰り旅行にぴったりです。

リゾートであるこの街は、多忙な会議と商取引が行われる中心地でもあり、こじんまりとしたホテルからビーチリゾート、ビジネス施設完備の会議室まで多岐に渡る宿泊施設があります。ビジネスを行いつつも海、太陽、夜遊びを楽しめる場所を探しているのであれば、リミニがふさわしい場所です。

歴史
 

もともとリミニに移住してきたのは、大半がギリシャ人でしたが、いくぶん後れてケルト民族が住み着きました。紀元前268年には、ウンブリアとAemilium(現在のエミリアーロマーニア州)の境に植民地を築いたローマ帝国に征服されました。海岸線の入植地は経済的に重要かつ政治の中心地として発展して行ったのです。

紀元前508年、ユリウス・カエサルがアリミヌム広場で自らの軍に語り、これが今日トレ・マルティリ広場として有名になっています。カエサルが立ち、演説を行った岩は、聖アントニオ寺院にて見学できます。アウグストゥス皇帝もリミニを訪れ、27世紀にアーチを建てるよう命令しました(アウグストゥス門)。

その後、ビザンチウムが古代イタリア帝国の首都となり、リミニは西帝国と同盟を交わしました。リミニはビザンチン帝国とゴート族間の紛争の耐えない場所となり、567年になってようやく地方総督が置かれ、ペンタポリスの一部になりました。

リミニはサラセン人に襲撃されたことにより、何世紀にも渡る荒廃の道をたどり、教皇とレミニの関係に関連してロンバルト族、フランク族、ノルマン族、スエビ族が殺戮を繰り返したのでした。マラテスタ家が13世紀に力を得ると、レミニは初期の頃の輝きを取り戻しました。マラテスタ家は街を300年にわたって支配しました。

マラテスタ家による暗殺指令後、教会はマラテスタ家に所有する土地の大半を放棄し、政治的権力を激減するよう強要しました。シジズモンド・マラテスタは後に教会の命を受けて総司令官に任命(1437-1468)され、ルネッサンスの典型的なプリンスとみなされました。1446年、シジズモンド城建設を命令し、1800年代初期までこの城は牢獄として使用されました。マラテスタ家は芸術と文化の偉大なる理解者でもあり、この時代の大半の知識人が彼の邸宅に招かれました。

1503年、マラテスタ家は残された土地をベネチア家に売りました。リミニはナポリ王で有名になり、王はイタリアの独立王国を作ろうと試みたのですが、失敗しました。リミニは、再び教皇支配下に戻りました

1824年、ローマ時代にさかのぼる建築物、かつてのマラテスタ城が復元されました。その後まもなく、リミニで革命勢力が支配を獲得しましたが、つかの間維持したにすぎず、オーストリアが干渉し、再びリミニは教皇の支配下に戻ったのでした。

1844年にはさらに大きな衝突が起こり、翌年には再びピエトロ・レンツィ率いる革命勢力がレミニを支配下に収めました。しかし、支配はわずか数日しか続かず、今回はスイスが干渉に入りました。後の10年間は比較的穏やかに過ぎ、1860年代初めには、リミニはイタリア王国に加わる道を選び、トゥリンにて同盟に加わりました。

第1次世界大戦勃発時の政権では、リミニは支持派と中立派に分断されました。二つの世界大戦の間、多くの地元男性が殺され、マジノ線が街の近くに引かれたために、街はひどい損害を受けて大半を失い、廃墟と化しました。第2次世界大戦後は、すぐに再建が始まりましたが、イタリア人にとって初めての、海辺のリゾート地として人気を得るよう開発され、いまやヨーロッパ全土から観光客が押し寄せてきます。

気候と天候
 

リミニは、特に6月から9月にかけてヨーロッパ中の学生でホテル、ビーチ、バーが一杯になる、人気の巨大行楽地です。7月と8月の気温はたいてい30度まで上がり、ビーチとリゾートホテルが非常に込み合う時期になります。一方冬は非常に寒く、雨が降り、この時期のリミニには何も起こりません。スキーをするほどでも泣く、気温は10度以上上がることはめったにありません。

春と初秋は気温が穏やかでヨーロッパの各都市と似た状況です。毎日たいてい晴れ、暖かく、乾燥していますし、面白そうな観光地は全てオープンしています。この時期は混雑するほどでもなく、夏ほど暑くありません。レミニへの旅行を考え、夏真っ盛りといった制限がないのであれば、5月から6月と9月から10月が適しています。


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