ホテル トラベル 英語ホテル トラベル ドイツ語ホテル トラベル フランス語ホテル トラベル イタリア語ホテル トラベル スペイン語ホテル トラベル 日本語ホテル トラベル 中国語ホテル トラベル?韓国語?
 

バリ 概観

各トピックに直接移動するには以下のリンクをご利用ください。 :

バリ島はインドネシアの27州のうちの一つ、インドネシア諸島にある熱帯の島です。どの年代の方でも楽しめる最高のリゾート地で、近代的な観光施設、優れたショッピング施設、文化遺産の数々が程よく調和されています。バリ独特のヒンズー文化は今日も引き継がれ、日々の生活に反映されており、数多くの儀式、行事、壮麗な寺院や宮殿などをご覧いただけることでしょう。


サーフィンが趣味の方には、バリは打ってつけの場所です。島の西側には、世界でも有数のサーフィン・ビーチがいくつかあります。反対に東側には、静かな水面にさざなみが立つ程度の穏やかな海と美しい白砂のビーチが広がり、家族旅行に最適です。


バリはカジュアルな服、オーダー・メイドの服、現地産の宝石、手工芸品、アンティーク、芸術品で知られる買い物天国でもあります。革製品も意外とお買い得商品の一つで、ハンドバッグからオーダー・メイドのレザー・ジャケットまで、全て信じられないような価格です。実際たいへん低価格なので、スーツケースに収まりきらなくなってしまうことでしょう。クタ、サヌール、ヌサ・ドゥアのマーケットで値段交渉してみましょう。それが苦手な人は、デンパサールのデパートで買い物をするのもいいでしょう。


マリンスポーツを楽しまれる方には、世界レベルのスキューバダイビングのスポットや日帰りで行けるシュノーケリング・スポットがあります。月明かりの下でロマンティックな夕食を満喫し、見ごたえあるファイアー・ダンスやケチャック・ダンスを鑑賞しましょう。一晩中踊りたいと思ったら、ナイトクラブは島のあちこちに点在していて、思いっきり盛り上がれます。


もっと文化的なものに興味のある方には、丘陵地帯にある静穏なウブドをお勧めします。そこの景色はまさに壮観です。バリ島の、もしくはインドネシアの、と言ってもいいかもしれない芸術の都ウブドでは、あらゆる種類の文化遺産を見ることができます。ジャングル、絵のように美しい丘の斜面、ライス・テラス、壮大なキンタマーニ火山などもあります。


のどかなビーチでの休息に飽き、もっと活動的なものをお求めなら、山腹でのゴルフや、美しいアユン川でのカヤックやラフティングに挑戦してみましょう。素晴らしい景色の中でのマウンテン・サイクリングは忘れられない思い出となることでしょう。ジャングルのトレッキングでは、ほとんどの観光客が見ることができないバリの一面を見つけることができます。


気候と天候


バリは一年中とても暑いです。平均気温は一年を通して摂氏30度前後となっています。乾季と雨季があり、4月から9月が乾季、10月から3月が雨季となっています。しかし、乾季でも雨が降ることはありますし、雨季といっても一時的な雨がほとんどです。一般に5月から8月がバリのベスト・シーズンとされています。この時期はあまり暑くならず、降水量も最も少なくなっています。


沿岸地域では海風が吹き涼しく、内陸へ行けば高度が上がるので、気温は下がります。高原では非常に冷え込むことがあるので、キンタマーニやブドゥグルなどの山間部の村では、暖かいセーターがあるといいでしょう。


歴史


バリ島の人々は、アジア本土を経てインドネシア諸島へ移住してきた先史時代の民族の子孫です。様々な文明の異なった局面を、自分たちの精神的価値に合うよう適合し、現在までその独自性を維持しています。

インドの商人、旅行者がもたらしたヒンズー教とその教えによって、最初の変化が生まれたとされています。近接するジャワのヒンズー教は、最も強い影響力を与えました。イスラム勢力に押され、マジャパヒト王国が没落すると、何千ものヒンズー教聖職者、貴族、兵士、芸術家、職人がジャワからバリへ逃亡してきました。これによって、ヒンズー文化が更に高まり定着していったのです。その後まもなく、諸王国で封建時代が始まりました。

この時点までにバリ島を訪れた西洋人は、ほとんどいませんでした。1585年にポルトガル船がブキット沖で沈没する事故がありました。ほとんどの乗員は溺死してしまいましたが、命拾いをした人たちは、この島に定住しました。それから12年後に、オランダの探検家コルネリス・ド・ハウトマンが訪れたことにより、バリについての詳しい情報が初めて西洋社会に明らかにされたのです。時々オランダの商人たちが訪れたものの、19世紀の初めまでヨーロッパの人々は、バリにほとんど関心を向けることはありませんでした。

フランス、イギリスは色々な目的により、長年の間バリに足掛かりを得ようと試みましたが、それはオランダにバリ島の将来性を気づかせるだけに終わりました。内戦と無秩序状態が広まり、正確な情報を得るのが難しい時代が続きました。

オランダはバリの国王たちに、敵から守ることを見返りとし、オランダの主権を認めさせようと何度も試みました。正式に署名された多くの書類があるにも関わらず、それらの試みは敵意で迎えられました。1844年に条約批准の要求のためバリを訪れていたオランダの長官に、ブレレンの法廷でようやくバリ島の人々の気持ちが伝えられました。

ブレレンとカランガスンの王の弟Gusti Ketut Djelantikがオランダの長官に言った言葉は、彼に現代の英雄として不朽の名声を与えました。「私が生きている限り、この国がオランダに主権を渡すことなどありえない。いかなる者も単なる紙切れで他国を統治することはできないのだ。そうしたいのなら戦おうではないか。」

この激烈な発言により、双方とも近いうちに戦争が始まることになると悟りました。オランダは侵攻軍の用意を始め、バリ島の人々は軍の準備に取り掛かりました。強力なオランダ軍が一旦バリ島征服に乗り出せば、圧勝するのは目に見えていましたが、その犠牲となるものについては、あまり考えていませんでした。バリ軍の防御力と士気を砕くには、3つの軍事作戦と60年余りの年月が必要でした。国王を始め宮中の全員、女、子供でさえ、剣や槍を手に参戦し、捕虜に捕られるぐらいならと、お互いに殺し合うといった痛ましい抗戦(ププタン)が多くありました。

このかなり衝撃的な出来事に心を動かされたオランダ軍は、それ以来、できるだけ倫理的な方法で、思いやりをもってバリの支配をするようになりました。バリの伝統的文化を残した近代化に勤める、まったく新しい管理体制が作られたのです。

文化保存の方針に従い、オランダの植民地官僚は、伝道師や宣教師のバリでの活動に難色を示しましたし、国際観光へ扉を開くことにも、官僚たちは先行きの不安を感じていました。実際にバリ島の観光産業が組織化されたのは、1920年代のことです。1930年までには、一ヶ月あたり最大100人の観光客が訪れており、1940年までに、その数は250人ほどになるのは確実とされていました。

KPM(王立船舶会社)は、観光案内所をブレレンに開設し(1925年)、デンパサールの政府レストハウスを購入、バリ ホテルを設立するとともに、(1928年)キンタマーニ高原の政府レストハウスを休泊所として獲得しました。1930年代までには、アメリカン・エクスプレスやトーマス・クックに取って代わり、事実上、旅行業界のトップとなりました。


戦前の旅行者は船を利用し、北海岸のブレレンまたは南のパドン・バイより上陸するのが通例でした。1930年代に初めて、2人の企業心に富んだドイツ人が、バニュワンギとギリマヌクの間のフェリー・サービスを始め、ギリマヌクとデンパサール間を結ぶ道路が建設されました。

空の旅は1930年代に可能となりましたが、非常に危険なものでした。ロイヤル・オランダ・インディーズ航空が行った第一回調査フライトは、バトゥカウ山に衝突しました。またブキットに設立された最初の空港は、天気が最も穏やかな日を除いて、着陸するにはあまりに危険でした。

1938年に、新空港がトゥバンの現ングラ・ライ(デンパサール)国際空港と同じ場所に建設され、オーストラリアとスラウェシへ向かう週一回のフライトが始まり、バリはその中継地となりました。


このような波乱万丈の過去を持つバリが、その文化を保ち、繁栄し続けたことには驚かされます。今日、バリはインドネシアの重要な国際観光地となっており、国内最大の人気を集めています。



バリ ガイド
シティーガイド
バリ ホテル : バリ ガイド :  バリ 地図 : バリ リゾート : バリ 旅行
ホテル : ガイド : 地図 : 予約カート : メンバーエリア
Copyright 1999, HotelTravel.com -