
グアテマラは人口の半分以上を占める最後のマヤ人コミュニティと、世界有数のマヤ遺跡を誇っています。およそ21の異なる民族が暮らしており、使用されている言語は23を超える、世界で最も様々な住民を持つ国の一つです。
最初の入植地は1524年に築かれましたが、カッチケル族との相次ぐ戦いのため、1527年に現在のサン・ミゲル・エスコバール近くへの移住を余儀なくされました。不運にも、1541年に地震で町は崩壊しました。3つ目の都市がラ・アンティグア・グアテマラに築かれましたが、1773年に再び大地震に見舞われます。

グアテマラは、17世紀にスペイン人の征服者コルテスによって支配されました。スペイン人は約2世紀にわたり権力を手にし、この国に永久に消えない跡を残しました。マヤの村には、スペイン植民地時代の建築が見られ、主要都市全土のほとんどの建物が17世紀、18世紀に建てられたものです。
20世紀後半には、主にエフライン・リオス・モント一人によって大規模な人権侵害が行われました。その後、彼の政権が200,000人以上の死に責任があると判明しました。同国はこのことについて、対処し始めたところです。

巨大な自然の力は国の大部分を破壊したものの、火山、亜熱帯多雨林、古代の湖など、素晴らしい景色も造りました。アウトドア派にぴったりな、自然保護区、野生生物保護区、自然遊歩道が豊富にあります。アウトドア派でない人も楽しめる、博物館、ギャラリー、人工のアトラクションも都市全土にいくつもあります。
グアテマラシティには、数々のトップクラスホテルがあり、多くは優れたサービスと充実した設備を提供しています。ラ・アンティグア・グアテマラにもとても良いホテルが揃っています。チチカステナンゴ、コバン、パナハッチェル、プエルトバリオス、ケツァルテナンゴなど、その他の地域でもホテルは充実しており、高級ホテルもあります。

グアテマラには、非常に異なる2つの季節、雨季と乾季があります。高度に応じて気温が変わるので、地域ごとに様々な気候が見られます。低地は熱帯性気候で、人口の大部分が暮らす高地では、昼は暖かく夜は涼しくなります。気温は年間を通して平均20度です。低地では、乾季に気温が37℃まで上がり、年間の平均気温は28℃です。
グアテマラでは通常雨季の期間でさえ、夜は空が澄み涼しいです。雨季は5月から10月までで、午後と夕方にかなりの雨が降ります。気温は夜になると急に下がります。乾季はずっと暖かく、夕方には涼しくなるものの雨季ほど気温は下がりません。
観光客が最も多くなる乾季には、ホテルや国内旅行は予約でいっぱいになります。ハイシーズン中に旅行するならば、必ず事前に予約してください。人ごみを避けたければ、雨季の間に訪れましょう。その際は、雨具を忘れないでください。

5世紀から8世紀の間、グアテマラは主にマヤ人が多数派を占めていましたが、マヤ文明が衰退すると、いろいろな他の民族集団が入ってきました。ヨーロッパ人が最初に到着したのは15世紀ですが、グアテマラが征服されたのはそれから2世紀後になります。スペイン人の征服者コルテスは、17世紀にスペインのために国を要求しました。19世紀、危機に瀕したスペイン帝国は、アメリカの植民地に独立を与えることを強いられました。グアテマラは1822年一時的にメキシコに併合され、比較的安定した時期を迎えました。人々は土地を所有する家族の管理を受けるという原始的な政治に満足する独裁者による統治が相次いだので、この安定性は短いものでした。

アルベンス・グスマン大佐は、1950年代初めにいろいろな農地改革を試みましたが、米国の支援を受けた反アルベンス派によって破られました。ほぼ直後に、同国は一連の右翼の軍政府と様々な左翼ゲリラの間で内戦が続く状態となりました。この期間中に現れた重要人物が、エフライン・リオス・モント元将軍です。1970年代と80年代の間、参謀総長、そして短い期間大統領であった彼は、非常に残酷で卑劣な反革命運動を命じました。
グアテマラは軍事政権から文民政権への移行に成功したものの、軍はまだかなりの政権を持っています。最近になって、政府は前任者ら(特にリオス・モント政権)の大きな人権侵害に対する責任を認めるようになってきましたが、依然としてグアテマラ国内政治において慎重を期する問題です。1999年国連は、軍はおよそ200,000人の殺害に対して責任があると調査結果をまとめました。

2002年7月、ローマ法王がグアテマラを訪問しました。これは、カトリック教徒の多いこの国の大きな出来事でした。ヨハネパウロは、17世紀の宣教師ペドロ・デ・サンホセ・デ・ベタンクールを同国初の聖人と認めました。
今日グアテマラが抱える主な問題の一つに、同国が領有権を主張する近隣国ベリーズとの論争があります。両国は1993年、不可侵協定に調印し、ベリーズはグアテマラに国の海事施設へのアクセスを許可しました。しかし翌年、グアテマラ政府はベリーズの現在の領域の半分を要求しました。国際的な交渉努力にもかかわらず、両国の関係は緊張したままでした。
しかしこの緊張は経済には影響を及ぼさず、経済は強化されつつありました。残念なことに、2005年同国はハリケーン・スタンによって大きな痛手を被りました。破壊的な風により、多くの人々が亡くなりました。グアテマラは今も、この災害から立ち直る努力を続けています。





























