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北京 基本情報

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北京は中華人民共和国の首都です。国の北東に位置しています。国際貿易の中心地、豊富な文化センターであることと同様に文化が豊富な都市です。輝やく新しい高層ビルの間に見える古代の宮殿の多様な景観は、新旧の面白い組み合わせです。万里の長城の史的建造物を探検するのもここ北京からです。


モンゴル元朝は北京に色鮮やかな歴史をもたらしました。長年の戦いに対しても耐え続けてきました。現在の北京は、人口1400万人近くまで増え、疲れることを知らない活発な雰囲気を持っています。特に無数の新しい建設プロジェクトや高価な輸入車など、至る所で急成長や富の拡大を見ることができます。


最近の成長と一見「西洋化」された雰囲気にもかかわらず、北京は未だに本当に真の中国の都市のままです。北京は海外から訪れる外国人にあわせることに抵抗し、そのユニークで文化的なアイデンティティを保持し続けました。中国の地方では中国語(北京語)を話さなければ中国の人々との会話は大変難しいです。


見ておきたい観光スポットはたくさんありますが、その中でも主要で素晴らしいのが紫禁城です。5世紀以上もの間、国の中央管理地で、みごとな寺院が集まっています。有名な天安門広場は北京で最も大きく、中国のシンボルでもあります。毛沢東の霊廟、人民大会堂、革命歴史博物館などの人気観光スポットに囲まれます


その他にも、古宮、天壇、頤和園、北京水族館や120ヶ所もの驚異的な博物館があります。誇るべき緑地スペースも多くあり、美しくて静かな公園で散歩を楽しむことも出来ます。殆どの旅行者は、日帰り旅行で雄大な万里の長城へと向かいます。長さは4千マイル近い、世界最大の人工構造です。


大国の首都ということで、中心地には4つ星以上のホテルが多く揃っています。サービスも世界的な標準と変わりないでしょう。日本人あるいは日本語の話せるスタッフのいるホテルも少なくありません。外国からの旅行者が利用できるホテルのほとんどは、故宮を中心に半径8km以内に位置しています。

2008年のオリンピック開催に向けて、この2、3年間で急速な経済拡大が進み、宿泊施設も選択の範囲が広がりました。新規ホテルが絶えまなくオープンし、簡素なゲストハウスからエレガントな高級志向のホテルまであらゆるカテゴリーの宿泊施設があります。現在のところ宿泊料金は大きな値上がりを見せていませんが、オリンピック開催前には値上がりが予想されます。

北京の宿泊施設については、当サイトの北京ホテル一覧・ページもご参照下さい。


気候と天候


北京には暑い夏から寒い冬まで、はっきりとした四季があります。殆どの旅行者は春と秋の間に観光に訪ずれ、その他の時期に見られる極端な気候の季節は旅行を避けます。北京への観光が寺院や博物館を訪れたり、街中を散策するといった目的である場合が多いのと関係しているかもしれません。


北京の春は暖かい気温、晴れの日が続き乾燥したすばらしい季節ですが、早春の季節は偏西風が吹き、3月から4月にかけてはゴビ砂漠やタクラマカン砂漠から春一番の風で黄砂が飛んで来る季節でもあります。辺り一面が黄土色に染まることもあり、観光ができないほどの日もあります。特にコンタクトレンズを常用している人は、黄砂のでる早春は避けるべきでしょう。


6月から9月初旬までの夏の季節は最も気温が上がり、平均最高気温も30度近くになります。この時期雨も頻繁に降り、中国人にとっても旅行シーズンではありません。宿泊は簡単に予約が取れて、各観光地も空いています。


秋は日中は暖かく夜は涼しいので、北京を旅行するのには良いシーズンです、空気も乾燥しており、最も人気の高い旅行シーズンです。冬は、時々氷点下20度以下にまで下がる日もあり、かなり寒いです。冷たい風が原因で雪が降るのも一般的です。旧正月の時期はどこのホテルの客室が埋まり、公共交通機関も混雑しますので、混みあった場所が苦手な方はこの時期に旅行をするのは避けた方が良いでしょう


歴史


北京の歴史は考古学的な発見によると、70万年前には原人が住んでいたと言われていますが、歴史として記録されている中では、紀元前1045年頃、戦国七雄の一つ「燕」の都の「」として登場します。紀元前222年に燕が秦に滅ぼされた後は、元王朝の時代になるまで北京は天下の中心となることはありませんでした。

10世紀になると、北方の契丹族がを興し、都の一つに薊の跡を定め、これを「南京燕京)」と呼びました。さらに、女真族のが遼を滅ぼすと、燕京に遷都してこれを中都と呼び改めました。


チンギス・ハーンの孫にあたるフビライ・ハーンは、1272年に、現在の北京の地を元王朝(1206〜1368)の首都とし大都と呼びました。大都は新しい帝国を統治するための行政の中心地となったのです。マルコポーロがハーンと旅をするために設けた拠点もここです。マルコポーロは『東方見聞録』とともにヨーロッパへ戻る前にハーンの客として大都に20年以上を過ごしました。そして元王朝の時代に、大都は円周30km以上、約5千万人の人口を持つ大都市へと発展しました。


明朝の朱元璋が大都を陥落し、1368年に元を追い落とすと、秦・漢時代の北平という名前に戻され、首都は南京に置かれました。しかしその後、明朝の第3代目の永楽帝は、15年の月日をかけて都市のまわりに高さ12メートル、厚さ10メートルの壁を造り、1420年に首都を北京へと移しました。なお、紫禁城や天壇などの世界的に有名な記念碑の多くは、永楽帝在位の間に造られています。


明朝に続く(1644年〜1911年)も北京を首都としたため、1420年から約500年の間、北京は首都として機能していたことになります。しかしその後、1911年の辛亥革命により清朝が滅び、中華民国(南京国民政府)の時代になると首都は南京に移り、この間北京は再度北平と称されることになります。

1937年、日本と南京国民政府との間で日中戦争が勃発し、北平はその後1945年まで日本軍の占領下に置かれます。1945年8月、日本軍が去ると、蒋介石の南京国民政府と毛沢東の中国共産党の間の内戦が激化しますが、ソ連の協力な支援の下、結局毛沢東が勝利を収め、1949年1月、北京に無血入城を果たします。この年の10月1日、毛沢東が天安門広場で「中華人民共和国」の成立を宣言し、北京は正式に首都とされました。


毛沢東主席の共産主義国導入以来、北京は劇的に変わりました。天安門広場は都市の中心ですが、その古い境界から拡大するかのように郊外へ膨大な新しい生活地区が築き上げられました。歴代の皇帝の邸宅や庭園は景観を見る場所や、古い住居として一般に開放されました。伝統的な北京スタイルの建物が並ぶ街並みが回復しました。都市は拡大し続け、洪水のような勢いで現代化し、過密状態と汚染が問題となっています。2008年の北京オリンピック開催に向けて、無数のホテル建築が続き、都市周辺には摩天楼が現れています。



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